2011年1月29日(土)19:00
僕は仕事を終えたその足で仙台駅に向かっていた。
19:26発の新幹線に乗るために。
何とか間に合って席に座ると同時に新幹線は動き始めた。
僕は暗い窓の外を眺めながら今回の旅の目的について考えてみた。
入口と出口。
「私の絵の中にはそれがある」と、彼は僕に言った。
元々今回の個展には僕は行けないはずだった。
急に決まった仕事上の理由でどうしても日曜しか休むことが出来ず、今回は行けない、彼にもそう伝えていた。
でも開催した個展の様子を彼に尋ねた時、会場にふらっとやって来た見知らぬおじさんの話を聞いた。
そのおじさんは会場へ入ったと同時に「おーッ」と『森の詩』を見て唸った。
しばらく作品を見て回り退場したが、再度入場しソファーに座った。
少し考えてから彼に質問してきた。
「入口はどこだ、出口はあるか?」
予期せぬ質問で、彼が答えられず困っていると更に
「原生林でも入口、出口はある。獣道もある」
「森の詩を正面から見ると進入を拒否しているかのように見える」
また、彼が困っていると、
「ここから見ると入口も出口も見える」
とソファーに座り斜め横から見ながら言った。
「正面からは見る者を拒むようで見にくいが、横からは見やすい、見える」
ようやくおじさんの言うことが理解できたので彼はそのおじさんに絵の説明をしたらしい。
その話を聞いて僕は無理をしてでもどうしても行きたくなった。
実は僕も同じ質問を彼にしていたのだ。
今回の個展に行けないことをメールで彼に伝えたとき、生活の為にやりたくもない仕事をやっと見つけたことで、本当にやりたいことが出来なくなる繰り返しに嫌気がさした僕は、
「ねぇ、この世界中のすみっこにもきっと何処かにある抜け出せる出口ってのはいったい何処にあるんだろう?」と彼に尋ねていた。
彼の絵の中にその答えがあるのだろうか。
短いトンネルが幾つも続いて新幹線の窓枠が気圧の変化で縮んだり元に戻ったりを繰り返す。
窓の外は暗くてトンネルを抜けてもほとんど何も見えない。
僕は窓に映った自分の顔をしばらく見つめてみた。
車内の蛍光灯に照らされた自分の顔はどこかしら少し悲しげに見えた。
そして出口について考える。
「視点を変えるんだよ。」
「視点を変えれば出口は見つかるはずだよ。」
実家に泊まった僕は翌日、家から個展が開催されているアートカゲヤマ画廊まで歩いてみることにした。
家から2~3キロの距離だ。
帰省する度に町の変化に驚くのだが、いつも車の窓から眺めるだけだったので丁度良い機会なので歩いて昔の町並みとの変化を直に感じてみたかったのだ。
天気予報通り良く晴れていた。
仙台より断然暖かいだろうと思っていたのだが、それは間違いだった。
風が強くてやはり寒い。あまり帰省しないのですっかり忘れてた。この町の冬は風が強いのだ。
歩き出してすぐにバッグを持っている手がかじかむ。
僕はバッグを肩にかけ直して両手をポケットに突っ込んで、高校生の頃に自転車で走っていた道を歩きはじめた。
楽器屋の貸しスタジオまでギターケースを背中に背負って通った懐かしい道だ。
15分ほど歩いて少し大きな橋を渡ると、だんだんと身体も温かくなってくる。
僕は当時好きだった女の子のことや、ギターの弦の感触を思い出しながら歩いた。
その頃バンドで練習していた曲を口ずさみながら歩き続けた。
もう寒くはなく、空はとてもよく晴れている。
『森の詩』を観る準備は整ったようだった。
個展会場に一歩足を踏み入れた瞬間、僕は訳もなく幸せになった。
訳もなくHAPPYを感じた。
その空間は慈愛に充ちていた。
とてもイノセントな空間だった。
とても心地よく感じた。
まるで深い森の中に突如現れた舞踏会のように思えた。
僕は部屋の中央まで進んでまわりをゆっくりと見渡してみた。
森の中の舞踏会。
そこはシンデレラや白雪姫の物語に出てくるような王子様やお姫様が楽しげにダンスを踊り、森の小人や妖精たちがうれしそうに笑顔で周りを取り囲んでいた。
そんな気がした。
意味もなくHAPPYを感じた。
「この世は光に満ちており、私たちは自らの意思を自らより高く掲げることにより、どんな薬や宗教の力を借りることなくそれを感じることができる。」
以前読んだ村上龍の小説にあった一節が浮かんできた。
そこにある作品は僕の予想をはるかに超えて素晴らしいものだった。
どれもこれも良すぎて目移りして一つの絵をじっと見ていることができなかった。
僕は部屋の中央でぐるぐると回り続けた。
まるでメリーゴーランドに乗ってはしゃいでいる恋人たちのように。
まるで色とりどりのお菓子でいっぱいの部屋に入った子供のように。
まるで大好きなアーティストのニューアルバムのすべての曲が最高だったときのように。
僕は知らない間に笑顔になっている自分に気付いた。微笑みと笑いの中間くらいの。
来客と話していた彼が僕に気付いて近づいてきて固い握手をする。
相変わらず力強い握手だ。
最終日で日曜ということもあって多くの人が足を運んでくれていた。
僕達は一言二言言葉を交わし、彼はまた来客の相手をするために戻って行った。
僕は今度は一つ一つの絵を順番にじっくり見ていくことにする。
『凜とした風』『雫』『はじまり』『合奏』と油彩の4枚が並んでいる。
青を基調とした初めの3枚は佐野元春の『BACK TO THE STREET』と『NIGHT LIFE』のアルバムジャケットを連想させた。
クールな見た目、そしてその中にあるとても純粋な何かが詰まっている、そんな印象である。
『合奏』は『SOMEDAY』のようだ。
他の3枚とは色合いも違うし厚みを感じる。
彼らしい感じがする。
どれもこれもそれ一枚でまあひと月は酒が飲めそうである。
できれば一枚一枚バーボンを片手にじっくりと向き合いたい。
そう思いながら次の作品に目を移して驚愕することになる。
『森に還る』 だ。
今回の個展タイトルにもなっている一辺が2メートルにもなる大作である。
昔から大きなキャンバスに描くことを得意とする彼だから作品の大きさには今更驚きはしないが、この作品は今までの作品とは明らかな違いがあるように思う。
僕は素人で専門的な解説などできないが、これまでの彼の作品が放出するエネルギーだとすればこれは包み込むような、浸透させるような、そして迎え入れるようなエネルギーだ。
タイトル通りまさに森へ還る入り口が開いているような絵だった。
なるほど、入口だ。
そして僕はもうその森の中にいる。
僕はもう少し離れてこの絵を見ようと、後ろに誰もいないか確かめようと振り返った。
そしてさらに愕然とした。
そこにあったのは 『森の詩』 。
それは、いや、これが、彼の言っていた出口ではなかろうかと思った。
すべての生命と、水や石、砂や風、大地も海も、山も河も人も動物も草花や木々も、そのすべてを次の次元の宇宙へいざなうかのように両手を広げている、そんな気がした。
僕は『森の詩』に近づいていった。
近づけば近づくほどその絵は僕の細部に染み込んでいくように感じた。
細胞の隅々にまで優しく染み渡り僕を包み込む。
それは太古の昔から未来へと脈々と続く大いなる流れに身を任すように僕という存在と記憶を遺伝子レベルまで分解し、光へと変換して遥か宇宙の彼方へと旅立っていく。
まるでエデンのエンディングのように。
まるで新しい進化の形のように。
気がつくと僕は『森の詩』にわずか1センチまで近づいていた。
このままこの絵の中に入ってしまいたいと思った。
絵の中に入りたいなんて思ったのは初めてだ。
いったい彼はどんな意図でこの絵を描いたのだろう。
しばらく『森の詩』にくっついたまま僕はその空間にいることを楽しんだ。
左に目を向けると三部作である 『月夜』 が飾られていた。
僕は個展が開催される前からホームページで今回の作品を紹介するために画像データを彼からもらってサイトにアップする作業をしていたから知っていた絵なのだが、本物がこんなに良い絵だとは知らなかった。
ホームページ上ではこの絵(どの作品についても言えることなのだが)の良さの5%も表現できていない。
『月夜』はかなりいい。
すごくいい。
素敵だ。
また佐野元春で例えるなら『こんな素敵な日には』に匹敵するほどである。
この絵を手に入れる人はこの絵を部屋に飾り見る度にきっとずっと素敵な気持ちになれるだろう。
そう思う。
僕はシンプルで上品な部屋の高級なソファーに座り、コンクリートの壁に掛けられたこの絵をじっと見つめながら高級なグラスで高級なシングルモルトを飲み干す自分を想像してみた。
まるで誰もいない砂漠の中でひとり、月の明かりだけが辺りを照らす。
絶景。
さらに隣には『紅』。
入口を挟んで『芽吹き』『妖精』『ささやき』。
面白くて先が気になってどんどん読み進めてしまう小説のように、僕はまた一つの絵をじっくり見ていられなくなる。
アクリルで描かれた『芽吹き』、『妖精』はまるでアメリカンポップアートのようで、ニューヨークの近代美術館に飾られていても全くおかしくない作品だ。
僕は会場の隅にあるソファーに座って入口と出口の話をしていたおじさんと同じ角度で『森の詩』を観察してみた。
しかし僕にはその人が言っていたようにここから見ても入口と出口は見えなかった。
前回の『つながり』の個展で出品されていた作品もそうだったが、彼の絵はその見る角度によって様々な表情を見せる。
『森の詩』もこの角度から見ると受ける印象は全く違う。
絵を見て感じることは人それぞれなんだなと思った。
それでいい。
少なくとも僕にとっては『森に還る』は入口で、『森の詩』は出口。
そしてこの個展全体が森であった。とても居心地の良い森。
それは僕という存在の良い部分も悪い部分も全てを受け止め肯定してくれているようだ。
「今までの君は間違いじゃない」と。
そして次のステップへの方向性を示してくれていた。
僕は今回この個展に来て本当によかったと思った。
危うく彼の真価を、そして進化を見逃すところだった。
今回の個展で彼が画家として成功することを確信した。
彼の絵は売れる。
実際に今回の個展ではそういったオファーが何件もあった。
実にうれしい話である。
一枚一枚の作品はどれも素晴らしい。
でもばらばらになるとこの空間の心地よさを感じることができなくなるのは少しさみしい気もする。
客足がいったん途切れたところで少し彼と話ができた。
彼は来れないはずの僕が来てくれたことをとても喜んでいた。
僕はこの個展のレベルの高さに感動したことを彼に伝えた。
うまくは言えない。
相変わらず口に出して伝えることは苦手だ。
帰りの新幹線の時間が迫ってきたので僕は彼とまた握手をして駅へと歩き出した。
全国ツアーのように個展を開催したい、そしていずれは海外ツアーも。
帰りの新幹線の中で僕はそんなことを考えていた。
まるで昔安いバーで酒を飲みながらまだ見ぬ異国の地について二人で語り合ったあの頃のように、僕の心は夢でいっぱいになっていた。